『ざわわ』を発動させる禁句ワード
さいきん調子のいいカメさんでも、時々、いやしょっちゅう落ちる。
落ちるというのは気分が沈んで、それこそうつ状態に入ることを指すのだけど、その前にワンクッション段階がある。
そのワンクッションが『ざわわ』である。胸がなんだかざわざわして、「ああ、もう少しで落ちるな。」ってわかるのだ。
この感覚をもう少し詳細に説明すると、脳が思考することをやめなくて、目まぐるしくありとあらゆる悪いことを創造しつづけてしまうような感覚だと思う。
でもそんなうつの前兆『ざわわ』が始まっても、なかなか止められないのがうつのやっかいなところ。
自分もうつである私は、彼の説明を聞きながらなんとなく以上のように咀嚼している。
彼と過ごしていて、『ざわわ』にはいくつかのフックがあることがわかった。その一つを今日は紹介しよう。
ひとつは、時の流れを意識させてしまうこと。
彼がうつになり、仕事を辞めて、半年以上経つ。
初めは「3ヶ月くらい休めばいいか。」といっていたのが、知らぬ間にその倍の月日を浪費しているのである。
もちろん、私はそれを浪費だなんで思わないが、本人にとってはそんな穏やかな気持ちではいられない。
先日私は何とは無しに言ってしまった。
「もう8月下旬か。はやいねぇ〜〜」と。
それは季節の移ろいの速さを感じて、もうすぐ秋ですね。秋刀魚の美味しい季節がやってきますね。的な感じで言ったのだけど、彼にとっては全く異なる意味で捉えられてしまった。
つまり、「僕が仕事を辞めてぐうたらし始めて、早くも半年以上が過ぎてしまった。」と。
こうなったらどんな言葉を紡いでもダメだ。
彼のざわわは止まらない。私も見守るしかない。
マインドフルネスが流行って久しいけれど、あれの言ってることと原理は同じだ。
人が落ち着き多幸感を得られるのは、「いま、この瞬間」にフォーカスすること。
つまり、左脳が思考を続けるのを止めて、いまをみることだ。
時の流れなんて意識しちゃった日には、「いま」なんてみえなくなってしまう。
このことに気づいたので、私はこれから時の流れを意識させちゃうようなワードは言わないことにする。
と、自戒の念を込めてシェアいたします。
蚊が鳴くように
カメさんがうつだと診断されてから。
特に落ち込んでいる時には声がとても小さくなるようだ。
それはそれは、蚊の鳴くようなか細い声で話す。
もはや話すというよりも、自分の心の声が漏れてしまったかのような、独り言のような調子である。
でも、発し終わったあと、私が返事をしないと、こちらをじっと見てくる、という具合だ。
何度も「え?」と問い返すわたしに、カメさんはビビり、萎縮し、自分の甲羅の中に頭を引っ込めてしまう。
こうなってしまうと本当にカメさんだ。
カメさんが完全無敵に元気だった頃、声が非常に小さい共通の友達のことが話題にあがり、「Aくんは声が小さいと思ってたけど、そう感じてたのは自分だけじゃないんだねー」という話になったことがあった。
それくらいには、カメさんの耳は正常であるはずだった。
私がうつ経験者(なう)であるから、とかカメさんには関係ないのである。
一定の時間、例えば私が働いている間の10時間くらいがたってしまうと、カメさんは完全に孤立するようだった。
自分だけがこの世界の住人であり、ほかの一切のひとは宇宙人なのである。
非常に警戒する。
甲羅の内側から外界を覗き見るカメさんになるのである。
ぼくは、ふとんの一部になりました。
「ぼくは、ふとんの一部になりました。」
今日はなにをしてたの?
真夏の日差しを避けて快適な家から一歩も出ず、ただただ流れる時間をやり過ごす彼に、仕事から帰宅する私が問いかけるおきまりの言葉。
そして彼は、これまたお決まりのように答える。
ぼくは、ふとんの一部になりました、と。
たったこの一文だけで。
彼がどんな気持ちで1日を乗り切ったのか。私に対面するのにどれほどのエネルギーを要したのか。(たとえそれが2年以上の月日を共に過ごした相手だとしても)
私は理解する。
彼の肉体が纏うグレーな重たい空気に。彼の奥に敷きっぱなしになっている敷布団に。取り込んだまま畳まれることなく、くしゃっと無作為に積まれた洗濯物たちに。
私は身体全体で感じとる。
彼がうつと診断されて、3ヶ月。
10年前にうつと診断された私と暮らす、彼の観察日記です。
気ままにぽつぽつ更新します。